「どうして、仏壇にお参りするの?」平成28年10月の法話(1)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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「どうして、仏壇にお参りするの?」平成28年10月の法話(1)


「どうして、仏壇にお参りするの?」平成28年10月の法話(1)の画像1
【担 当】 新美和彦 師 〔愛知県蒲郡市 玉泉院 住職〕
【御 題】 「どうして、仏壇にお参りするの?」

 


 

 


 

 

小学一年生の孫が質問をしました。

孫 「どうして、仏壇にお参りするの?」
私 「仏壇とは死んだご先祖の位牌がおまつりしてあるからだよ!]
孫 「それだけ?」
私 「いや、真ん中におられる阿弥陀さまにもお参りしているんだよ!」
孫 「お参りしたら、いいことあるの?」
私 「いいことって何かな?」
孫 「好きなオモチヤを買ってもらえるとか!」
私 「自分のいろいろな願いが叶うってことかな?」
孫 「うん」
私 「そうだとしたら、いいことは無いかもしれないかなー。 おじいちゃんの拝んでいる仏さまは『阿弥陀さま』といって、願いを叶えてくれる仏さまじゃないんだよ!」
孫 「じゃ-、何のためのにお参りするの?」
私 「阿弥陀さまや、ご先祖さまは、何時でも、何処でも、私たちの事を見て下さっているんだよ。 だから『いつも見守って下さって有り難う!』という気持ちでお参りするんだ。」
孫 「じゃ-、いつも見ているっていうことは、僕が何か悪いことをしたらバチが当たるの?」
私 「そうじゃないんだよ。あみださまは、悪いことをしても、決してバチを当てたりされないんだよ!そして、いいことをしたら喜んでくださるんだ! だから、阿弥陀さまやご先祖さまを悲しませないようにしようね!
孫 「うん!」

と解ったような顔をしました。

お仏壇は、西方極楽浄土を表しています。ご先祖さまは、そのお浄土で、阿弥陀さまの下でお説法を聞いて、私たちのために修行をして下さっています。位牌は、ご先祖さまが、今、正にお浄土におられるお姿です。私たちは、その阿弥陀さまを始めご先祖さまの前で、手を合わせ、お念仏をして、その仏壇・お浄土を中心として、心の支えとして、日暮らしをして行くことが大切です。

私たちは、何かにつけ「いい」・「悪い」というように、常に自分を中心に、自分勝手な判断をします。しかし、仏さまにお参りするということは、自己中心的な私のあり方をいつも心配し、見守って下さる阿弥陀さまの心に触れ、気づかさせてくれるのです。人間として生まれたからには避けられない、「老いの心配・病気の心配・死ぬことへの心配」を、不幸なことと受け取ることが多いです。 阿弥陀さまをはじめ悟りを開いた仏さまは「いい・悪い」「好き・嫌い」を超えてすべてのものを分け隔て無く、ありのままに受け入れて下さるのです。 ですから「老・病・死」も、かならずしも「不幸」な事ではなく、それぞれに大切な意味があるというように、人生の大きな意味を見つけ出して下さるのです。

最近、直葬(ちよくそう)?や0葬(ぜろそう)?という葬儀があります。これは当に阿弥陀さま・ご先祖さまの心の支えが無いからです。この結果、益々私たち日本人の心の支えである文化が無くなり、敬いの心・思いやりの心が薄れ殺伐とした獣の世界になるのでは無いでしょうか?

仏壇に、花を手向け、灯明をささげ、合掌し、爽やかなおリンと木魚の音に和して読経・お念仏するとき…、私のごとき凡夫生活に沈んで居る者は、「やすらぎ」となります。そこにご先祖と共に阿弥陀さまが、わたしの中に入ってきてくださるのです。

まずは、それぞれの家庭の仏壇の前に座りましょう! そして、悲しくとも、嬉しくとも、とにもかくにも、仏壇の前に座ることを心掛けた、日暮らしをしていきたいものです。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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