極楽往生/令和4年8月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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極楽往生/令和4年8月の法話


極楽往生/令和4年8月の法話の画像1
【担 当】 新美和彦 師 〔愛知県蒲郡市 玉泉院 名誉住職〕
【御 題】 「極楽往生」

 


 

 


 

 

猛暑や豪雨などの異常気象、頻発する大地震、そして、今までの日常を一変させてしまった新型コロナウイルスの蔓延。現代はかつて法然上人さまがご存命の時代と重なる部分が多いのです。

法然上人さまが活躍された時代は、社会的に非常に不安定な平安末期から鎌倉初期の時代でした。このような天災、社会不安に翻弄された当時の人々は、仏教に救いを求めました。

法然上人さまが説かれた、「南無阿弥陀仏」のお念仏を申せばすべての人が平等に阿弥陀さまに救われる。との浄土宗の教えは人々の心の支えだったに違いありません。

不安なこの世において、私たちの心の拠り所となるのが、今も昔も「南無阿弥陀仏」のお念仏です。阿弥陀さまの救いを信じて、「南無阿弥陀仏」のお念仏を称えれば、心が次第にやすらぎ、必ず阿弥陀さまの世界、極楽浄土に往くことができるのです。これが浄土宗の教えです。

ところで何故、「極楽往生」が大切なのでしょうか?

浄土の教えは、目標がはっきりしています。

お念仏を申して、なつかしいおじいちゃん、おばあちゃん、ご先祖さまの居られる、お浄土に往くことが出来たら、私は「仏」と成れるのです。そして、その私は、「仏」として、この娑婆世界で苦しんでいる親族をはじめとして、すべての衆生に救いの手をさしのべるのです。この目標が信仰となれば、今の私には「やすらぎ」となります。

法然上人さまは「人々の自力修行には限界があります。ただ一向に念仏すば、仏の方から助けに来て下さいます。」と教えを示されました。鎌倉の北条政子さまへ送られた、法然上人さまのお手紙があります。「六字をとなうるに、一切をおさめて候なり。・・・ただし、こころをきよくして申すをば、第一の行と申し候なり。」と書かれています。

お念仏を称えることにはさまざまな意義がありますが、「南無阿弥陀仏」の六字の名号を称えるというたったそれだけの中に、ありとあらゆる意義が込められているのです。

法然上人さまは、お念仏をお称えするのは、歩いていても、横になっていてでも、何時でも何処でも良いのです。ただ、心を清らかにしてお称えすることが最も大事だとされました。それは、阿弥陀さまの極楽浄土へいつも心を寄せていることです。
 
どうぞ、ご先祖様へのご供養とともに、自身の往生の行として、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称え頂ければと思います。

合掌十念

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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