弥陀の乳/令和2年4月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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弥陀の乳/令和2年4月の法話


弥陀の乳/令和2年4月の法話の画像1
【担 当】 稲吉満了 師 〔愛知県岡崎市 崇福寺 住職〕
【御 題】 「弥陀の乳」

 


 

 


 

 

比叡山、西の洞院に、飢えと寒さに苦しみながら、修行に余念のない正算という一人の若い修行僧がいました。その母は郷里にいて子供の正算の身を案じ、有るとき、その見舞いのために、使いをやりました。その使いは、「近頃便りもないが、病み患いはせぬかと気がかりであります。寒さの折から、体を大切にするように」と書かれた手紙と、それに添えて、白米一袋を持参してきました。

正算は大いに喜び、母の手紙を再三再四、読み返した後、早速袋から、白米を取り出し、ご飯に炊いて、有り合わせのお菜を添えて使いの者にすすめました。ところが、使いの者は、差し出されたお膳を前にして、ポロポロ涙をこぼすばかりで、食べようとしない。正算は不思議に思い訊ねました。

「どうして箸を付けないのですか」と聞くと、「とても勿体なくて頂く気になれません。このお米は、唯のお米ではありません。母御が,毎日毎日、貴方の身の上を案じた末、フサフサとした髪の毛を切り取って、其れを売り払い、その代金で白米を買われたのです。ですから、この一粒、一粒の米粒は、貴方の母御の黒髪一筋、一筋にあたっている訳で、其れを思うと、とても頂く気にはなれないので有ります」と答えました。

「嗚呼、そうだったのか」正算は、こみ上げる感動を押さえることも出来ず、思わず、ポロポロと涙を落しました。「済まなかった、そんなにまでこの私の身を案じての、お母さんの真心だったのか」。それからの正算は、いつまでも、母の真心を忘れまいとして、毎日、炊くご飯に、「一粒」づつ炊き入れて、母の慈愛と、仏様の御恩を忘れずに、長い間修行に励んだので、正算は比叡山第一の高僧となり、皆から尊ばれる様に成ったと言うことであります。

「親と子の 間を結ぶこの乳は 親のものにて こども飲む乳」という、念仏の教えを詠んだ古歌が有りますが、正算親子に当て嵌めてみますと、「親」とは、(生んで命を頂いた阿弥陀親様で)正算の母を指し、「子」とは(凡夫作ら仏法修行に励む)「正算」、「髪の毛一本」は(一口の乳)即ち「一声の念仏」と心に頂き直す事が出来ます。

一粒一粒の米は、日に六万遍以上の念仏を唱えられた法然上人の念仏の日暮らしそのものを指し、南無阿弥陀仏と口に入ってもらい、南無阿弥陀仏と噛み砕き、南無阿弥陀仏と飲み込む「歓びの念仏の人生」へと繋がって参ります。

「阿弥陀親様」からの慈悲の命であることを、片時も忘れることなく、念仏の日暮らしの中に、此れからも幸せに長生きして行っていただきたいと願っております。

担当は稲吉満了でした。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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