平成27年1月の法話/杉田道秋師/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


文字サイズの変更

 


 

平成27年1月の法話/杉田道秋師


平成27年1月の法話/杉田道秋師の画像1
【担 当】 杉田道秋 師 〔愛知県豊川市 立信寺 住職〕
【御 題】 「無頓着(むとんちやく)」」

 


 

 


 

 

私たちが、普段何気なく使う言葉の中に、仏教が起源になっております言葉がたくさんあります。
無頓着と言う言葉がございます。これも仏様の教えから来た言葉でございます。
皆さんは、この言葉を聞いてどのようなイメージを持たれますか。

私は、小学校低学年のころ、毎日鼻水をたらしながら学校に行っておりました。まさしく鼻垂れ小僧です。
この当時、鼻水を垂らしながら来る子供は沢山いましたので、恥ずかしいと思うより、鼻水を垂らしているのが当たり前だと思っておりました。今とは違いテツシュなどという洒落た物などありません。どの子も上着の袖で鼻水をぬぐっておりましたから、上着の左右の袖は、鼻水でカリカリになっておりました。

しかし、それを恥ずかしいとか汚いとか気にする子はほとんどいません。無頓着な子供ばかりです。

あの人は、服が汚れていても、裏返しに着ていてもまるで気にしない。無頓着な人だ。
あの人は、髪の毛がボサボサに乱れ、寝癖がついていてもまるで気にしない。無頓着な人だ。

このように無頓着は、一般的に「ダラシがない」「気にかけない」などと余り良い意味合いで使われておりません。大変残念なことです。仏教では無頓着を良いこととしてとらえております。
無頓着は、物事に執着しない。無欲で心の綺麗な人として表現されているのであります。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

前へ

次へ

 



前の画面に戻る


 

 

Tweet 


 

 

facebook area