「花は葉を思い、葉は花を思う」令和2年9月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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「花は葉を思い、葉は花を思う」令和2年9月の法話


「花は葉を思い、葉は花を思う」令和2年9月の法話の画像1
【担 当】 祖父江義典 師 〔愛知県岡崎市 欣浄寺 副住職〕
【御 題】 「花は葉を思い、葉は花を思う」

 


 

 


 

 

秋彼岸になりますと、至る所で、真っ赤な彼岸花の咲いている姿が見受けられます。

この彼岸花は、「葉見ず花見ず」と言われるように、秋に花を咲かせる時には、葉をつけず、花が散ってしまった後に葉をつけるという珍しい植物です。
お互いが決して出会う事が無くても、葉は、美しい花の姿を想い、一生懸命光合成をし、球根に養分を蓄えます。そして、花は、一生懸命光合成をしてくれた葉の事を想い、美しい花を咲かせます。

私の住んでいる地域には田んぼが多くあり、以前は、他に仕事をしながら、自分たちの食べるためのお米を作っている兼業農家の方が多くおられました。
そんな兼業農家の方の一人がこんな事を言われました。
「ご先祖様の遺してくれた田んぼだから、何とかしたいけど、後をやってくれる人もいないし、もう止めようかな…」
最近では、業者に委託し、自分でお米を作られる方がめっきり減っているそうです。

確かに、お米の値段は下がり、苦労してまで、自分たちが食べるためのお米を作ろうとは思わなくなってしまったのかもしれません。
中には、「田んぼなんか遺してくれても困る」と言われる方も居ます。

しかし、食糧事情の厳しかった時代の事を考えてみますと、食べるものに困らない生活が、一番の幸せだったのではないかと思います。
お米を作る、田んぼを後に遺す、という事は、「未来永劫食べるものに困らないで欲しい」という、子孫に向けての一番の願いだったのではないでしょうか。

現代において、「田んぼ」と言う物に価値観を見出せなくなってしまっても、家族が、そして、まだ見ぬ子孫が、どうか幸せに暮らして欲しい、その想いを感じとることは出来るのではないでしょうか。

衆生仏を憶念すれば 仏また衆生を憶念したもう

私たちが、仏様を想えば、同じように仏様も私たちの事を想ってくださるという事です。
彼岸花のように、例え顔を合わせた事のないご先祖様であっても、子孫の幸せを願っておられるものです。そんな願いの中に今自分が生かされている事に気づき、一緒に暮らした家族だけではなく、顔を合わせた事のないご先祖様を想って、そして、未だ見ぬ子孫を想って、手を合わせてみてはいかがでしょうか。

合掌

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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