有難い雨/令和5年6月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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有難い雨/令和5年6月の法話


有難い雨/令和5年6月の法話の画像1
【担 当】 祖父江義典 師 〔愛知県岡崎市 欣浄寺住職〕
【御 題】 「有難い雨」

 


 

 


 

 

6月になり、雨の多い季節となりました。屋外での活動が制限されたり、主婦の方にとっては、洗濯物が乾かなく、鬱陶しい雨だと感じるかもしれません。ことさら、偏頭痛持ちの私にとっては、この梅雨時期は耐え難い時期でもあります。憂鬱な気分で毎日を過ごしておりますと、「あぁ・・・今日も天気が悪いなぁ・・・」と、ついつい愚痴をこぼしてしまうものです。

しかし、農家の方にとっては、お米や野菜を育てるのに欠かせない大切な雨であるから、むしろ有難い雨だと感じるかもしれません。現に、雨の日に屋外を眺めてみますと、草木は恵の雨を受け、青々とした葉を茂らせ、生き生きと、喜びに満ちあふれた姿を見せています。まさに植物にとっては「良い天気」であるのです。

このように、同じ雨であっても、それぞれの立場、見方によっては、「良い天気」、「悪い天気」と捉え方が変わってくるものです。

「一月三舟」という言葉があります。海上で月を見上げた時、停まっている舟からは月が停まって見え、北へ行く舟からは北へと向かって月がついて来るように見え、南へ向かう舟からは南へと向かって月がついて来るように見える。同じ月を見ても、見る人によって、それぞれ別の捉え方になるという事です。

私達が、自分本位の見方をしていると、気が付かない事であっても、見方を変えれば、そこにある本質に気が付くことが出来るのです。

もし、この梅雨時期に雨が降らなければ、どうなるでしょうか?植物は成長不良になり、夏場には気温が上昇し、さらには深刻な水不足となり、私たちの生命をも脅かす事態となってしまうかもしれません。

私にとって鬱陶しいと思う雨であっても、この世のありとあらゆる生命を繋ぐために、必要不可欠な水をもたらしてくれる大切な存在なのです。そう考えると、雨も決して悪い天気ではありません。雨の日が続いても、この雨によって、私達が生かされているのだと気がつくと、「有難い雨」と感じることが出来るのではないでしょうか。

仏説無量寿経に法雷を震い、法電を曜やかし、法雨を澍ぎ、法施を演ぶとあります。

恵の雨を受けた植物が、生き生きと喜びに満ち溢れた姿を見せるように、私達も法雨という雨のように降り注ぐ、仏さまのお慈悲の光に照らされ、どんなことがあっても、有難いと感じて手が合わさるような喜びのお念仏の毎日を送りたいものだと思います。

合掌

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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