亡き人の便りのとどく師走かな/平成28年12月の法話(1)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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亡き人の便りのとどく師走かな/平成28年12月の法話(1)


亡き人の便りのとどく師走かな/平成28年12月の法話(1)の画像1
【担 当】 伴義山 師 〔愛知県西尾市 妙善寺 住職〕
【御 題】 「亡き人の便りのとどく師走かな」

 


 

 


 

 

今年も最後の月師走となりました。喪中の便り、あの人、此の人、共々過ごした日々が思い出されてなりません。

私は本年歳男、申歳、もう後僅かであります。十二年後は申すまでもありません、百歳は稀であります。「何処から来て何処へ」これが人生の大テーマであります。

私の寺は俗に「かぼちゃ寺」と呼ばれ、近隣の観光地で宿泊された方々が、観光バスで連日参拝される様になって参りました。このチャンスを逃してはと、寺本来の使命とは何かと自覚しまして、「本当の幸せ、喜び、安心」とはと、短い時間ではありますが、お与えする所が寺であると、説法に生命懸けております。

先ず法然さまの「祈るによりて病いやみ、命のぶることあらば、たれか一人して病み死ぬ人あらん」と云うお言葉を拝読しております。法然さまは拝んで病気が直るとはおっしゃらなかった。拝んで病気が直るならば現実に、一人として病み苦しむ人はないでしょう。Aと云う病気が直ればBが出る。Bが直ればCが出る、決して死なないと云う事はあり得ないのであります。と云う事は病気が直ることが、本当の幸せ喜びではありません。「命には限りある」と自覚しなければなりません。命も自分のものとお思いですか。下さった方のもの。お父さんお母さん、おじいさんおばあさん、辿れば限りない過去無限の命が、この私にDNAを凝縮して下さり、お帰りになり、絶えず見守って下さる所、お浄土の存在に気付く事が、真実なる喜び、安心だと思うのであります。

法然さまは「我もと極楽にいたりしみなれば、定んで帰り行くべし」とおっしゃっております。

「善きことも悪しきもありて年の暮れ。」 よきお年をお迎えください。

合掌

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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