総本山誓願寺創建と法然上人/平成29年10月の法話(1)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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総本山誓願寺創建と法然上人/平成29年10月の法話(1)


総本山誓願寺創建と法然上人/平成29年10月の法話(1)の画像1
【担 当】 稲吉満了 師 〔愛知県岡崎市 崇福寺 住職〕
【御 題】 「総本山誓願寺創建と法然上人」

 


 

 


 

 

総本山誓願寺は、天智天皇の勅願により奈良唐招提寺の北・尼ケ辻付近に、天智天皇6年(667)5月15日、三輪宗(後に法相宗に転派。薬師寺より31年前)の寺院として創建され、平成29年10月31日午前11時より、総本山誓願寺において「創建千三百五十年の記念法要」が厳修まれます。

法然上人は保元元年(1156・24 才)師の叡空上人に暇を請い、嵯峨清涼寺の7日間の参篭をへて、奈良(南都)の高僧を歴訪されましたが、最初の訪問が、法相宗誓願寺21世、蔵俊僧都(53歳)でありました。法然上人が初対面で、僧都に宗義の不審を訊ねると返答に窮せられ、「貴房徒人にあらず(中略)智慧深遠なること言語道断なり」と讃えて誓願寺22世に仰ぎ、後、僧都は一代にわたり法然上人に供養を送ったと伝えています。平安中期には、清少納言が帰依し、又、和泉式部が誓願寺で出家するなど、女人往生の寺として信仰を集めました。

常に仰せられた上人の法語に「罪業の重きことは、石のごとくなれども、本願の舟に乗りぬれぱ、生死の海に沈むことなく、必ず往生するなり。ゆめゆめ我が身の罪業によりて、本願の不思議を疑わせたもうべからず。これを他力の往生とは申すなり。」(十二箇条の問答)は、「五障三従」と見下げられていた女性の魂を揺さぶり、深い信仰に導いた事でありましょう。

鎌倉初期には、京都一条小川に移転し、戦国時代に入り、天正19(1591)年豊臣秀吉が徳川家康対策に備えた寺町整備の一環として、誓願寺も現在の新京極に移転、秀吉正室、おね.松の丸(京極電子)・淀君(茶々)・初・江・前田利家室、まつ・摩阿・他、秀吉を囲む御簾中(貴婦人の妻)28名の信仰の力で豪壮な伽藍が落慶しました。(『波上の舟』野村昭子 108頁 誓願寺参照)

創建千三百五十年記念法要に際し、本尊阿弥陀如来の白毫より発せらる「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の経文を、上人は「月影の いたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ」と詠まれ「極悪最下の乱想の凡夫が称名の行により往生すべき道理を発見した」と信仰告白され「ただ一向に念仏すべし」と遺言されました。

深草派は上人が誓願寺22世を継承後、23世西山上人、24世円空立信上人、以後、師資相伝を経て、27世記主願意上人と、法然上人最晩年の、円熟の法灯が継承されていることは、極めて重大な存在意義を感じます。


 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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