平成28年3月の法話(2)/河合弘善師/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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平成28年3月の法話(2)/河合弘善師


平成28年3月の法話(2)/河合弘善師の画像1
【担 当】 河合弘善 師 〔愛知県西尾市 清海寺 徒弟〕
【御 題】 「極楽往生」

 


 

 


 

 

“生まるれば死ぬるものなり おしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も”

『人として、生まれたからには、必ず一遍は死なねばなりません。あのお釈迦様でも亡くなった。達磨大師もお隠れになり、隣の猫も何れ死ぬであろう。今、使っているシャモジも壊れて、形がなくなって死んでいくであろう。』と、これは、あの有名な一休禅師の詠まれたお歌であります。

人が死ぬことを往生ともいいます。往生とは、死後、極楽浄土に往き生まれ変わること、ともいわれております。この極楽往生には、九つのパターンがあり、九品往生といいます。最高ランクは、上品上生、最下位は、下品下生といわれております。生前に積んだ功徳の違いで、往生の仕方が違うという訳です。正に、生き様が死に様といわれる所以でしょうか。

でも、み仏様の み光は、私たちに平等なはずなのに、どうしてこの様な格差をつけられたのでしょう。それは、善い人も悪い人も皆同じように極楽往生できますよ、と説けば、きっと、煩悩だらけの私のような人間はいい気になって、ついつい罪を重ねてしまうでしょう。そこで、『お釈迦様があえてこのような説き方をされ、言わば巧みな方便である』と法然様は明かされているそうです。

悪いことはしないつもりでも、例えば、急いでいるからと、車でついスピード違反をしたり、私の血を吸ったからと思いっきり蚊を叩いてみたり、自分では気づかないうちに、言葉で他人を傷つけてしまったり・・・と、数えれば切りがありません。

悪い種は、蒔けば必ず生えます。生えれば苅り取らねばなりません。罪を作ったら作った分だけ、ナムアミダブツという仏種、仏となる善い種を蒔かねばなりません。ナムアミダブツと阿弥陀様のお名前をお称えすることが大切なようです。

何はともあれ、極楽往生のためには、ただ、ひたすら、お念仏をお称えすれば、必ず助けると、阿弥陀様は約束してくださいました。

法然様のお言葉にあります、“只、一向に念仏すべし”


合掌 九拝

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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