平成24年12月の法話/小島雅道師/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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平成24年12月の法話/小島雅道師


平成24年12月の法話/小島雅道師の画像1
【担 当】 小島雅道 師 〔愛知県岡崎市 圓福寺 住職〕
【御 題】 「念仏の生活」

 


 

 


 

 

念仏申さん者は、ただ、生まれつきのままにて申すべし。
善人は、善人ながら、悪人は、悪人ながら、本のままにて申すべし。
この念仏に入るの故、始めて持戒、破戒なにくれと言うべからず。
ただ、本体ありのままにて申すべし。

これは、法然上人のお言葉です。現代語に直すと、
「念仏を称える人は、ただ、生まれたままの状態で称えなさい。善人は善人のまま、悪人は悪人のまま、本来の自分のままに称えなさい。このたび、念仏を始めるに当たり、戒律を守り、破ってはいけないとかあれこれ言うのではなく、ただ素直に自分の本当の姿で称えなさい」となります。

僧侶の資格を得るには、浄土真宗の方を除いて、まず、おカミソリを受けて、戒律を授けられ、さらに、一日に何回も水をかぶり、お香を口に入れ、体にも塗り、さらにお香をまたいで身を清めて、やっと本堂に入って、お経を称えます。修行中は、お肉やお魚は口にせず、普段の生活と全く違う修行をします。ところが、いくら表面的に、体や口を清めても、心の中はそうはいきません。もやもやと色んなことが浮かんできます。心の中の悪い自分が出てきます。

人は、誰も悪人で生まれて来ません。しかし、成長するに従って、自分にとって都合の良いように、楽を考えて、悪い心を身につけてしまいます。常に、損得勘定で、物事をとらえ、自分自身が、幸せであるよう、人や物など、まわり全てに、喜びや、楽しみを求めます。法然上人は、このお言葉で、「そのままでいい、自分を繕っていくら、いいかっこをしても、心が汚れていれば、何にもならない。その身そのまま手を合わせ、念仏すれば、自分の汚くなった心に気が付くでしょう。そうすれば、汚れていなかった、生まれたままの自分に素直に向き合える。それが、本当の念仏の生活だよ」と教えて下さっています。




 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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