美しい姿/令和2年6月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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美しい姿/令和2年6月の法話


美しい姿/令和2年6月の法話の画像1
【担 当】 新美直照 師 〔愛知県蒲郡市 玉泉院 住職〕
【御 題】 「美しい姿」

 


 

 


 

 

子どもの頃、タイへ旅行に出かけ、大変驚いたことがあります。それは、会う人が皆、合掌をして挨拶をしてくることです。合掌というと、仏さまやご先祖さまを拝むときの形、というイメージでしたが、東南アジアなどの仏教国では、日常の挨拶の形として合掌の習慣があります。慣れてくると、大変気持ちのいいものです。

合掌しながら悪いことを考える人はいないのではないでしょうか。手を合わせることによって、心が落ち着き、争いの心や、憎しみの心が消えてくるのでしょう。タイやインドの人たちは、手を合わせることで、穏やかで平和に暮らせることを知っているのです。

子どもが、「一生のお願い」と手を合わせてきました。人は本当に心からお願いしたり、謝りたい時には自然と手を合わせてしまいます。それは、その姿に「まごころ」が表れてくるからなのだと思います。

 仏教詩人、坂村真民さんの詩があります。

 『手を合わせる』

  手を合わせる
  手を合わせれば
  憎む心もとけてゆき
  離れた心も結ばれる
  まるいおむすび
  まるいもち
  両手を合わせて作ったものは
  人の心をまるくする
  両手を合わせて拝んでゆこう

おむすびやもちを上手に作るには、技術ではなく、両手の中にまるい心、「まごころ」を込めることが出来るかどうかだと思います。

手を合わせ、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えた後に、「この野郎!」と汚い言葉は出てきません。手を合わせることは、大変すばらしいことなのです。

「右ほとけ 左我ぞと 合わす手の 中にゆかしき 南無の一声」という歌があります。
右手と左手というのは同じ手でもそれぞれ役割があります。右手が箸を持てば左手はお茶碗、右手がペンを持てば左手は紙を押さえます。仏教では、右手が仏さまで左手が私たちです。仏さまと私たちが一つになるのが、合掌の姿です。

静かに手を合わせている姿は、本当に美しいと思います。うれしいとき、悲しいとき、つらいとき、また怒りを感じたとき、そっと手を合わせてみませんか。ピタッと合わさった手の中に、解き放ってくれる仏さまのはたらきがあります。そのはたらきの中を、私たちは生かさせていただいているのです。合掌する姿は、仏さまに救われていく、美しい姿なのです。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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