お宝鑑定/平成29年5月の法話(2)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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お宝鑑定/平成29年5月の法話(2)


お宝鑑定/平成29年5月の法話(2)の画像1
【担 当】 萩原勝学 師 〔愛知県西尾市 崇覚寺 住職〕
【御 題】 「お宝鑑定」

 


 

 


 

 

皆さんお宝はなんでありましょうか。

「門より入るものは、家珍にあらず」という言葉があります。外からもらったもの、持ち込んだものは、本当のお宝ではないのです。では本当のお宝とはなんでしょうか。大金はたいて買い入れた宝石でしょうか。名画でありましょうか。宝くじの高額当選金でありますか。私たちは毎日テレビを見たり、パソコンやスマホをのぞいて外の世界に心とられて一体何を捜しているのでしょう。

眼を内に転ずれば、家の中には母がおり、妻と娘と息子がいます。孫の家族もきてくれます。老いた母の笑顔、幼い孫娘の笑い声。それらを見聞きしていると、仏さまの御命がお喜びになって下さっているとしか思いようがありません。お仏壇の中には父も祖父母もいます。みんな私のために生きて泣いて笑って下さった。ご先祖様です。私の宝です。

私は遠い親戚のお坊さまの弟子にして頂きました。その奥様は、田舎の親戚の人たちには「京都の鬼ババ」と陰口されるほどの方でした。私はこの奥様に育てて頂きました。私も当時は、心の中で「鬼ババ」「○○ババ」と叫ぶ毎日でした。今思えば、慈雨、法雨、大慈大悲の雨あられでありましたのにもったいないことです。後に京都を離れ西尾に来まして、私ども夫婦はある人によって来る日も来る日も、毎日毎日15年間苦しい日ぐらしを強いられました。しかし、私はこれを「悪縁」と決めつけて逃れるチエを持っていませんでした。これは私に幸いでした。

この出会いは、「たとひ悪讐、怨敵となりて我を罵り、我を苦しむこともあるも、すべて菩薩権化の大慈悲」であったのであります。お二人は私の前に大きな壁として立ちはだかりました。しかし私を育ててくれたのは京都の奥さまであり、西尾の彼であり、この壁でありました。この出会い、この壁がなかったならば、私は私になれなかったと思います。何ものにもなれなかったでしょうし、また私が私であることさえ出来なかったと振り返る昨今です。辛苦の種を私の人生にまいて下された仏さまこそ誰にも盗まれない私だけの宝です。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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