泥に咲く蓮/平成29年2月の法話(1)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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泥に咲く蓮/平成29年2月の法話(1)


泥に咲く蓮/平成29年2月の法話(1)の画像1
【担 当】 稲田順学 師 〔愛知県名古屋市 蓮華寺 住職〕
【御 題】 「泥に咲く蓮」

 


 

 


 

 

深草派第二祖顕意上人は、師匠の派祖圓空立信上人のお言葉として、「無上深信(じんしん)の心は、疑執難断(ぎしゅうなんだん)の情(こころ)の中より開けたるを、浄土の安心と知るべし」とお示しになっておられます。“疑執難断”とは、迷いや不安、執着、断ち難きこと等、道筋が開けず泥沼にあえぐことの多い、私たちの日暮らしそのものであります。しかし顕意上人は、疑執難断こそが、浄土の安心への導きになるのですよ、とおっしゃっているのです。

私の先輩知人の家庭で、一人息子さんが小学2年の時に、母親がガンで亡くなってしまいました。しばらくの間、年老いた祖母が家庭のやりくりをしていましたが、高齢の身には負担が重く、いろいろ経緯を経て、後添(のちぞ)えを迎えることになりました。

お相手の方は初めてのお嫁入りです。当然のことですが、その両親の愛娘への想いは千々(ちぢ)に揺れ動き、「なにも後添えに行くことはないのに!!先妻の子がいるところへ何ゆえに!!」等々、まさに「疑執難断」の極みになりました。やがて祝言を挙げることになって、輿入(こしい)れが近づき、両親から必要な荷物が送られてまいりました。荷物の中に1挺(ちょう)の鍬(くわ)があり、その柄(え)のところに封書が添えられていました。

その内容はと申しますと、「あなたは、亡くなった方の後へ入って新生活をするのです。先妻さまのお参り供養の時、お仏壇には、あなたがこの鍬で嫁ぎ先の畑を耕し、自分の手で育てたお花をお供えしてください。両親より」と書かれてありました。娘は、その親心が身に沁(し)みました。両親の言葉どおり、丹精込めて花を育て、先妻さまを丁重(ていちょう)に供養されたそうです。

これは単なる処世術ではありません。疑執難断の情から、浄土暮らしの心、すなわち至誠心(しじょうしん)=拝む心、深心(じんしん)=信ずる心、回向発願心(えこうほつがんしん)=ふりむける心、が、親娘ともども具(そな)わったのであります。

最後に、この心を詠んだ、ある先徳の一句を申し上げます。

この泥が あればこそ咲く 蓮の華

合掌 十念

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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