季節の法話/霜月(十一月)/榊原慶弘師
【担 当】 榊原慶弘 師 〔京都市伏見区 地福寺 副住職〕
【御 題】 「最初の一声」
一日一日を振り返えってみますと、早く過ぎていくものだと思います。
十一月になり ますと気温が下がってきて、寒さが身にしみてきます。
着ている服も二枚三枚と竹の 子のように重ね着をして、やれミンクだカシミヤ、本革だ。イタリア製だ。あ~温かいと喜ばれますが、動きにくく着ている服の重さに嘆かれると思います。
家に帰ると 早速服を脱ぎ捨てて「あ~楽ちんだと」おっしゃると思います。服を重ね着致しますと、身は暖かくなります。 しかし、人より良い物を立派な物という思いが「重い重い」という重さにかわり、この身にまとわりつく我欲になって、心を押さえつけてゆきます。
雪の中に仏の御名を唱ふれば
積もれる罪もやがて消えぬる
表はつめたい雪がつもっているかもしれません。 しかし何時かは溶けてしまい春のウ ララとなります。タケノコのように重ね着をしてその着物を一枚一枚剥いでゆくの は、まるで体から悪いものがとれてゆく様ではないでしょうか。 竹の子は生えてきたときは皮をいっぱいかぶっていますでしょう。 しかし、伸びて行 くときに衣を一枚一枚はずして行き末は真っ直ぐな青々とした竹に成長します。
善心とは飾り気のないまるで皮を脱いだ白い竹の子ではないでしょうか。
人の心も同じです。
お念仏を申す(称える)ことの何処が有り難いのでしょうか?
それは、ただ申せ! 申すから有難い。
有難いから尚申す。 尚申すから尚有難い、尚有難いから 益々申す。
益々申すから益々有難い、益々有難いから一層申す…のです。
私たち自身が皮を脱いだ白い竹の子と同じであると気づかせて戴くのも、
初めに称えるお念仏(一声)からです。
合掌 十念
このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。
法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。
この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)
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