「聞見一同」平成28年9月の法話(2)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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「聞見一同」平成28年9月の法話(2)


「聞見一同」平成28年9月の法話(2)の画像1
【担 当】 佐伯良雄 師 〔愛知県蒲郡市 光明寺 住職〕
【御 題】 「聞見一同」

 


 

 


 

 

「聞見一同」この用語は、『観無量寿経』(観経)を理解するために重要な言葉であります。極楽浄土の姿を見ることと、法を聞くことは同じであるということを意味します。
『観経』は、韋提希夫人がわが子阿闍世太子により幽閉されるという大変な悲しみ・苦しみにであい、清らかな世界を願われたことに対して、お釈迦さまがお説きくださった説法であります。
韋提希夫人は、お釈迦様のお力で極楽浄土の姿を見ることができ、さらに説法を聞くことにより、極楽浄土の姿を理解されました。そして、『観経』は、韋提希夫人だけの為ではなく、未来世一切の凡夫の為に説かれた教えであります。

つまり、この『経』を聞き、信を起こすものは、韋提希夫人が極楽を見たことと同じ利益があるということです。
そこで「見る」ということは、どのようなことであるか、考えを申し上げます。
例えば、お盆には棚を設け、そこにお仏壇よりお位牌様を取り出して、安置しおまつりします。そして、仏様をお客様として迎える想いで、旬の果物、野菜などをお供えし、三度の食事のお世話を致します。実際にはご先祖様(仏様)の姿は、私の眼に見えなくても、私が仏を想う心はここにあり、仏が子孫を想う心もここにいらっしゃるのですから、仏側からは見えている。見える謂(いわ)れがあります。

また、祖父や祖母、父や母の年忌法要の時、外食に出かけることが多くなりました。しかし、お仏壇の前で、子供や孫など一緒になって食事をしたほうが、亡き先祖も一緒に喜んでくださるような気がするという方も沢山いらっしゃいます。

「見る」ということは、私達とご先祖様とは、見える「謂れ」があり、仏の教えを聞き信じることです。 極楽世界とは、どのような世界であろうかと想いますが、お仏壇の前で繰り広げられている光景が、そのまま極楽の姿であると思います。普段には、身近に仏様を意識しませんが、自分の周りに極楽の世界が開けています。

以上

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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