幸せに生きる道/平成29年3月の法話(2)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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幸せに生きる道/平成29年3月の法話(2)


幸せに生きる道/平成29年3月の法話(2)の画像1
【担 当】 中村龍明 師 〔愛知県岡崎市 実相寺 住職〕
【御 題】 「幸せに生きる道」

 


 

 


 

 

みなさま、こんにちは。中村龍明と申します。きょうは人の幸せについてお話させていただきます。

近頃、「終活」という言葉がよく使われます。これは、人生の最後を迎える準備をするといった意味でございますが、その中でよく使われる言葉に「寿命」という言葉があります。寿命とは人が生を受けてから死ぬまでの間をいいます。寿命は一人一人に仏さまから与えられた限られた時間だといわれています。

私は昨年、2才年上の姉が亡くなりました。二年前にリンパ腫を発症し、抗がん剤がとてもよく効いた喜んでいたのですが、発症してから2年の命でした。その姉が四回目の抗がん剤を投与され、自分の命が長くは持たないことを自覚したとき、弟の私と上の姉に向かって「病気になったのが私で本当によかった。あんたはまだ仕事が忙しいし、お姉さんは旦那さんの世話を見なければいけないし、曾孫の世話もあるでねえ。」と言ったのです。

姉自身は茶道の師範として、忙しく過ごしていたので、「病気になってつらい。自分だけ悲しい」と当然、言うだろうと思っていたわたしは、自分と2才しか違わない姉の言葉に「今の私ではとても言えない言葉だ」と驚きました。自分の死についてさえ「わたしでよかった」とすました顔で言う姉の姿を見るにつけ、喜び・悲しみは一枚の紙の裏表であると知らされました。

姉はよく努力した人だと思います。私にはとうていできそうもありません。私ができることは姉をねんごろに供養することしかありません。私たちはなかなか仏さまの教えに徹することができませんが、自分に与えられた日暮らしの中で、自分のできる努力を積み重ねていきたいものでございます。

浄土宗開祖法然上人はお歌に「月影の至らぬ里はなけれども眺むる人の心にぞすむ」とお示しになりました。阿弥陀様の救いの光は月影のように、あらゆるところを照らしていますが、その光をいただて有難いと受け取れる人は救われる人なのです。仏さまの救いを信じ、南無阿弥陀仏と称えて、自から仏さまの懐へ飛び込んでゆくことが幸せを得る道ではないでしょうか。

暑さ寒さも彼岸までと申します。もうすぐ温かくなることでしょう。どうぞお元気でお過ごしください。

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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