平成26年1月の法話/小島雅道師/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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平成26年1月の法話/小島雅道師


平成26年1月の法話/小島雅道師の画像1
【担 当】 小島雅道 師 〔愛知県岡崎市 圓福寺 住職〕
【御 題】 「安心した毎日を暮らすために」

 


 

 


 

 

法然上人のつねに仰せられけるお言葉に、「往生は、一定と思えば、一定なり。不定と思えば、不定なり。」とお説き下さる一節があります。 これは、「極楽に生まれることが定まっていると思えば、往生がかなうものです。けれども、確実では無いと思えば、往生はかないません。」という意味です。

ところで、法然上人から直接お言葉を頂くならまだしも、そんなに易々と私達は、極楽に生まれることが、確実だと深く信じることができるでしょうか。 血のつながった家族でも、信じると言うことは、とても難しいことです。親子であっても、時には嘘や裏切りがあり、財産が絡めば、兄弟も赤の他人となります。 信じ合い、愛し合って夫婦になったはずなのに、今や、結婚するカップルの半分近くは離婚する時代になりました。 従って、私達が、素直に極楽に往生できると思うことは難しいと言わざるを得ません。それは、どんな時代の人でも同じことです。

昔だから、何事も素直に信じられるかと言うとそう簡単なものではありません。 見たこともなければ行ったこともない極楽世界です。 それでは、どうして法然上人は、信じることができない私達に、この言葉を残されたのでしょうか。

それは、例えば、自分も含めて、家族が、事故や、病気や、災害に遭えばどうしようと、毎日心配するとどうでしょうか。 たちまち、不安でたまらなくなり、何も手につかなくなり、返って、心も体も壊してしまいます。 

つまらない心配をして毎日を不安に暮らすことよりも、安心して、幸せに暮らすことが、とても大切です。 だから、法然上人は、「生けらば念仏の功積もり、死なば浄土に参りなん。とてもかくてもこの世には、思い煩うことぞ無き」とおっしゃっています。 「心配すればするほど、心配事が増えてやってくるものです。生きていれば、いくらでもお念仏ができて、極楽へ行くための功績を積むことができるし、死ねば、必ず浄土へ行くことができます。そのためには、お念仏で極楽往生、間違いなしと、安心して生活をしなさい。そうすれば、安定した幸せな毎日を過ごすことができるのですよ」と教えて下さっています。

担当は小島雅道でした。


 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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