仏の強縁(ごうえん)/令和2年7月の法話/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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仏の強縁(ごうえん)/令和2年7月の法話


仏の強縁(ごうえん)/令和2年7月の法話の画像1
【担 当】 長谷川晃雄 師 〔京都市 妙心寺住職〕
【御 題】 「仏の強縁(ごうえん)」

 


 

 


 

 

毎日ウイルスの情報を目にして不安な日々をお過ごしの事とお察しします。手洗い・うがいを徹底し、マスクを付けて過ごしていても中々不安は消えません。

この『不安』な気持ちというのは厄介なものです。自身で確認していないのにも関わらず、デマ情報は一気に拡散していきます。トイレットペーパーが無くなる、というデマ情報が流れたら買い占めに走る方が多かったですね。普段、穏やかで冷静な方も、不安に支配されると、我先に!と相手を押しのけても自分が自分が・・・と周りが見えなくなってしまいます。

人間にはこのように危うい部分が少なからずあるものです。
総じて、人間の心は大変に弱いものです。自分に不都合なことが起きると、そのことだけに気持ちがとらわれてしまいます。自分の側にあった原因にまで心が及ばないのです。今の私たちは心にゆとりが持てないというのが現状でしょう。

疫病、戦争、クローン、環境破壊、など人類は様々な困難な問題に直面しています。「いのち」とは何か?を深く考えさせられます。仏教でいう「いのち」の世界とは、一体何でしょうか?

それは、自分が「生かされている存在」であることを知る、ことです。

人間がこの世に生を受け、命を全うすることは非常に難しいことです。正にキセキなのです。ゆえに、いのちの尊さと人間が持つ罪障にもっともっと気づかなければなりません。人は自分よりも愛しいものを見いだすことはありません。それと同じ様に、他の人も自分が一番愛しいのです。だから、自分を愛しいと知るならば、自分がされたら嫌だと思うことは他の人にもしない、他の人を害することはしてはならないのです。

人の一生は、一分一秒の「今」が連なって成り立ちます。過去に体験した辛かったこと、悲しかったこと、たくさんあると思います。でも、あの辛いこと、悲しいことがあったからこそ今の自分がある。そう思えるように今を生きる。そして、いつもいつも大きな働きがあなたをやさしく包んでいるのを忘れない。そうすれば、辛い過去の出来事も乗り越えていくことが出来るはずです。

我が流祖、西山上人は『鎮勧用心』(ちんかんようじん)の中で「徒(いたずら)に機(き)の善悪を論じて仏の強縁を忘るることなかれ」と仰せになられました。私たち一人ひとりは、仏さまに、また多くの人々に願われて今を生かされているのです。そのことに目覚めて、手を合わせていただきたく思います。

合掌

 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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