「智慧」ってなに?/平成28年11月の法話(2)/お説教の詳細ページ/浄土宗西山深草派布教師会

浄土宗西山深草派 総本山誓願寺


 

 


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「智慧」ってなに?/平成28年11月の法話(2)


「智慧」ってなに?/平成28年11月の法話(2)の画像1
【担 当】 松井慶繁 師 〔愛知県蒲郡市 永向寺 住職〕
【御 題】 「智慧」ってなに?

 


 

 


 

 

こんにちは!松井慶繁と申します。今日は「智慧」についてお話したいと思います。

「智慧」って言うと、ノーベル賞を受賞されるようなとても頭の良い方だけが分かる賢さというイメージってありませんか?もしそうだとしたら、私を含め、世の中の多くの人たちはそれを知ることも理解することも出来ませんよね。そんな差別を、仏さまは本当に善とするのだろうか、と最近思うんです。

仏教では「智慧」と「慈悲」はよくセットで出てきます。我々浄土宗では「ローソクの灯り」が智慧の象徴、「仏花」が慈悲の象徴だと言われています。お経の始めでも「願我心如智慧火」とありますよね。

先日こんな事がありました。檀家さんとお参りしている時に、窓から風がヒュッと入ってきてローソクの灯りが消えました。夕方でしたので薄暗い部屋は真っ暗になりました。私は真っ暗になってもそのまま読んでましたが、檀家さんのお経はぴたっと止まりました。 
    
私は急いでマッチを探してローソクに火を着けました。明るくなると、檀家さんのお経が再び聞こえてきました。 

その時私は思ったんです。「智慧」の灯りが消えて真っ暗になると何も見えなくなるんだな。ほんとはそこにあると分かっていても見えていない。我々はあれこれ見ているようで実はちゃんと見てないんだなと。あぁ、そうか。智慧の灯りが慈悲の花を見せてるんだ。

慈悲の心や人の優しさって、分かっているようで分かっていない。見えているようで実はちゃんと見えてないのかもしれません。それこそ人生のお先真っ暗になってどん底に落ちた時に、人々のの優しさや暖かさに触れ、「あぁ、ありがたい!」と、心から感謝の気持ちが湧くのだと思います。

智慧の灯りが慈悲を照らすから、我々は薄暗い娑婆の世を歩いていけるんですね。

冒頭に戻り「智慧」とは一体なんぞや?

「智慧」とはただ今申した通り「明るく灯して見せること」ですよね。見えてるようで実は見えてないものを見せる。つまり「気づかせる」ことです。「自分がいかに愚かな存在なのか」という事に気づく事です。これなら天才だけでなく、誰にでも分かり得る事ですよね。ましてや我々凡人の方が、天才より機会も多いかと思います。
法然上人が「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と遺言で言われたのも「自分の愚かさに気づき、智慧の灯りを灯しなさい。そうすれば慈悲の花があなたを包むでしょう」と言いたかったのかも知れません。

「自分の無力さ、ダメさ、愚かさを素直に受け入れること」これが「智慧」だと私は思います。


 

 

このたび、当布教師会より法然上人800回大遠忌記念事業として法話集「法然さまからのお手紙とお歌」を出版いたしました。


法然さまが「黒田の聖人(ひじり)」に宛てた一紙小消息を、管長猊下お手ずから、わかりやすく現代の言葉に置き換えていただき、それを一区切りづつ布教師会の布教師がお説教として書き下ろしました。 また法然さまの代表的なお歌を八首取り上げ、それをテーマとしたお説教も掲載しております。

この本のお求めは、≪総本山誓願寺公式サイト「出版書籍のご案内」ページ≫ よりご購入いただけます。(一部1,000円税込/送料別)


 


 

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